2013年3月31日日曜日

活動記44「WBCと24歳と3月17日 その1」

2013年3月17日。

WBC準決勝、日本VSプエルトリコの体験談を書いた。

というのも、人生ではじめて号泣して、本気で人にキレた。

そんなことは、過去に1度もなかった。

理性が吹っ飛ぶぐらいの、激しい感情の起伏。

なぜそんなことになったのか。

今の文章能力で頑張って、書いた。

時間があったら、読んでください。
どのタイミングで、泣いて、キレたのか。

泣いたのは、2度。

①8回裏に井端が1点を返すヒットを打ち、内川がヒットでつないだとき。
②試合後。

キレたのは、1度。

①試合後、顔見知りの早稲田生が「くそなゲームだったっすね。」との発言が後ろから聞こえてきたとき。


ここで、1つ。

泣いた・キレたというのは、その感情をだいたい説明できる。

試合に負けて、悔しいから泣いた。

生意気な発言を聞いて、腹がたったからキレた。

ところが、

今回、自分が泣いたことに関しては、原因がよくわからない。

〜だから泣いた、というのがない。

なんで号泣したのか、自分にもよくわからない。

涙は勝手に流れ、怒りは理性を超えた。


振り返ってみると、3つの背景があった。

「2ヶ月半、熱狂的な異国の野球ファンに囲まれていたこと。」

「人生ではじめて、日本を本気で応援したこと。」

「簡単には、サンフランシスコの地にたてなかったこと。」

どういうことなのか?

当日の出来事(活動記45「WBCと24歳と3月17日 その2」)の前に、その背景を知ってほしい。


①「2ヶ月半、異国の熱狂的な野球ファンに囲まれていたこと。」
1月19日から3月17日の約2ヶ月間。

異国の、熱狂的な野球ファンがそばにいた。

国内リーグ6試合はチケットがすべて売り切れだった、メキシコ野球。

チケットをもとめ、前々日から1キロの列に並ぶ、カリビアンシリーズ。

ハポネス(日本人)といえば、目の色を変えて質問を浴びせる、キューバ人。

野球人気を盛り上げたい気持ちがバネとなって、一致団結する、プエルトリコ人。

集結して、口が張り裂けそうになるくらい、楽しそうに応援する、ドミニカ人。

兄弟が出場しているのか?

ってぐらいに、自分の国を本気で応援する人たちが周囲にいた。

本気で応援する姿は、羨ましくうつった。

②「人生ではじめて、日本を本気で応援したこと。」
今までの人生で、日本を本気で応援したことがなかった。

21歳ではじめて海外に出るまで、「日本」は普通にそばにあった。

日本人であることを意識することもなく。

日本の野球について考えることもなかった。

日本を本気で応援する!なんて機会はどこにもなった。

応援するというよりも、むしろ、日本に対して負の感情を持っていた。

以前に書いた記事からもわかる。

正直なところ、日本が好き!とは今でも言えない。

実際、日本について知らない。

1950年代に何があったか、満州事変が何なのか、歴代の首相が何をやったか、説明できない。

実際、野球に関しても同じ。

WBC行きを誓った、約1年前の2012年1月。

日本の試合が見れようと、見れなかろうと、気にしていなかった。

野球を見て、発狂する、世界の人を目におさめるのが目的だったから。
(詳しくは、個人ブログサンフランシスコ

ところが、

異国の、熱狂的な野球ファンに囲まれて、何かが変わった。

「日本代表を本気で応援したい!」

と思いはじめていた。

日本代表がサンフランシスコでの準決勝行きを決めたとき、本当に嬉しかった。

やっと、すなおな気持ちで応援できる。

マイアミ空港について、「Kenta maeda」の文字をみたとき、大声でガッツポーズした。

試合中も、周りを気にすることなく、大声で声援をおくった。

こんなこと、今までに1度もなかった。

③「簡単には、サンフランシスコの地にたてなかったこと。」

今まで散々書いてきた。


あらためて思う。

ここに来るまでの道は簡単ではなかった。

親との口論、写真の路上販売、旅資金、将来の不安、旅の不安、東京逃避、ホスト、家庭教師。

飛行機に乗り遅れていたら、

メキシコで襲われていたら、

キューバでパスポートを盗まれていたら、

プエルトリコであのときタクシーに乗れなかったら、

サンフランシスコの地にたつことは出来なかった。

旅前も旅中も、たくさんの時間とお金と労力を使って、たどり着いた。

サンフランシスコ。

この瞬間を大切にしよう。

今までに感じたことがないくらい、心の中にあった。

そんな中で迎えた、2013年3月17日。

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