2013年3月17日。
WBC準決勝、日本VSプエルトリコの体験談を書いた。
というのも、人生ではじめて号泣して、本気で人にキレた。
そんなことは、過去に1度もなかった。
理性が吹っ飛ぶぐらいの、激しい感情の起伏。
なぜそんなことになったのか。
今の文章能力で頑張って、書いた。
時間があったら、読んでください。
泣いたのは、2度。
①8回裏に井端が1点を返すヒットを打ち、内川がヒットでつないだとき。
②試合後。
①8回裏に井端が1点を返すヒットを打ち、内川がヒットでつないだとき。
②試合後。
キレたのは、1度。
①試合後、顔見知りの早稲田生が「くそなゲームだったっすね。」との発言が後ろから聞こえてきたとき。
ここで、1つ。
泣いた・キレたというのは、その感情をだいたい説明できる。
試合に負けて、悔しいから泣いた。
生意気な発言を聞いて、腹がたったからキレた。
ところが、
今回、自分が泣いたことに関しては、原因がよくわからない。
〜だから泣いた、というのがない。
なんで号泣したのか、自分にもよくわからない。
涙は勝手に流れ、怒りは理性を超えた。
振り返ってみると、3つの背景があった。
「2ヶ月半、熱狂的な異国の野球ファンに囲まれていたこと。」
「人生ではじめて、日本を本気で応援したこと。」
「簡単には、サンフランシスコの地にたてなかったこと。」
①「2ヶ月半、異国の熱狂的な野球ファンに囲まれていたこと。」
1月19日から3月17日の約2ヶ月間。
異国の、熱狂的な野球ファンがそばにいた。
国内リーグ6試合はチケットがすべて売り切れだった、メキシコ野球。
チケットをもとめ、前々日から1キロの列に並ぶ、カリビアンシリーズ。
ハポネス(日本人)といえば、目の色を変えて質問を浴びせる、キューバ人。
野球人気を盛り上げたい気持ちがバネとなって、一致団結する、プエルトリコ人。
集結して、口が張り裂けそうになるくらい、楽しそうに応援する、ドミニカ人。
兄弟が出場しているのか?
ってぐらいに、自分の国を本気で応援する人たちが周囲にいた。
本気で応援する姿は、羨ましくうつった。
②「人生ではじめて、日本を本気で応援したこと。」
今までの人生で、日本を本気で応援したことがなかった。
21歳ではじめて海外に出るまで、「日本」は普通にそばにあった。
日本人であることを意識することもなく。
日本の野球について考えることもなかった。
日本を本気で応援する!なんて機会はどこにもなった。
応援するというよりも、むしろ、日本に対して負の感情を持っていた。
正直なところ、日本が好き!とは今でも言えない。
実際、日本について知らない。
1950年代に何があったか、満州事変が何なのか、歴代の首相が何をやったか、説明できない。
実際、野球に関しても同じ。
WBC行きを誓った、約1年前の2012年1月。
日本の試合が見れようと、見れなかろうと、気にしていなかった。
野球を見て、発狂する、世界の人を目におさめるのが目的だったから。日本の試合が見れようと、見れなかろうと、気にしていなかった。
(詳しくは、個人ブログサンフランシスコ)
ところが、
「日本代表を本気で応援したい!」
と思いはじめていた。
と思いはじめていた。
日本代表がサンフランシスコでの準決勝行きを決めたとき、本当に嬉しかった。
やっと、すなおな気持ちで応援できる。
マイアミ空港について、「Kenta maeda」の文字をみたとき、大声でガッツポーズした。
試合中も、周りを気にすることなく、大声で声援をおくった。
こんなこと、今までに1度もなかった。
③「簡単には、サンフランシスコの地にたてなかったこと。」
今まで散々書いてきた。
あらためて思う。
ここに来るまでの道は簡単ではなかった。
ここに来るまでの道は簡単ではなかった。
親との口論、写真の路上販売、旅資金、将来の不安、旅の不安、東京逃避、ホスト、家庭教師。
飛行機に乗り遅れていたら、
メキシコで襲われていたら、
キューバでパスポートを盗まれていたら、
プエルトリコであのときタクシーに乗れなかったら、
サンフランシスコの地にたつことは出来なかった。
旅前も旅中も、たくさんの時間とお金と労力を使って、たどり着いた。
サンフランシスコ。
この瞬間を大切にしよう。
今までに感じたことがないくらい、心の中にあった。
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