2013年3月31日日曜日

活動記45「WBCと24歳と3月17日 その2」

WBC決勝の体験談を書きました。

この文章を読む前に、下記を読んで頂けたらと思います。

先述のとおり、

「2ヶ月半、熱狂的な異国の野球ファンに囲まれていたこと。」

「人生ではじめて、日本を本気で応援したいと思ったこと。」

「簡単には、サンフランシスコの地にたてなかったこと。」

こんな、事実があって、3月17日を迎えた。

前日、3月16日。

ホテル→マイアミ空港→ロサンゼルス空港→サンフランシスコ空港→ホテル。

慣れない土地を移動したため、疲れている。

ホテルについたのは、夜9時。

付き合いの長い先輩と会い、野球談義を楽しむ。

深夜1時。

静かなる興奮を文章にする。「サンフランシスコ

深夜5時。

一泊23ドルの部屋に1人。

渦巻く感情を楽しみながら、寝る。

当日、3月17日。

前日会った先輩と、朝に球場を訪れる約束をしていた。

10時ちょうどに合流し、20分かけてむかう。

会場には、既に何人かの日本人。

日本語が聞こえてくる。

というだけで、興奮がおさまらない。

それだけで喜べるものか?

と、自分に驚く。

一緒に応援できる!嬉しさがあった。


球場近くは、まだ静か。

当日チケットを買ったり、記念写真をとったり、雰囲気だけでも、微笑えむことができる。

用があったため、チームストアによる。

球場に併設されているため、正面ゲートから徒歩1分。

ここには、どうしても欲しかったものがある。

JAPANのロゴが入ったユニフォームと帽子。

JAPANのつくグッズを買いたい!と思ったのも、これがはじめて。


中米の野球旅で、後悔していることがあった。

日本の野球グッズを身に着けてくればよかった。

「お!!??お前、日本から来たのか?」

もっと、現地の人に声をかけてもらえただろう。

何よりも、自国のユニフォームを身にまとい、応援する姿は格好よく見えた。

帰り道をおくってもらったりと、非常に優しくしてくれた、プエルトリコ人。
試合開始は、6時。

会場が開くのは、2時間半前。

ホテルに1回戻り、準備を整える。

マイアミ予選の写真と、予備のSDカードの整理。

ソファーに座り、ヤフーニュースを見ていると、

「世界の野球写真展の方ですか?」と声をかけられた。

twitterで自分の存在をしったらしい。

MLB関連で楽しく喋っていると、出発の時間が近づいてきた。


朝と同じく、球場まで歩いてむかう。

ゆく道で、日本のグッズを身につけた人をポツポツ発見。

笑みが止まらない。

球場の正面ゲートには、すでに多くの日本人。

侍のような格好をした人もいれば、国旗を掲げる人もいる。

目を離すことが出来ない。

球場に入るも、侍ジャパンは、既に練習を終えたところ。

1番早めに来た人でも、選手の姿をほとんど見れなかったらしい。

と、不思議な感覚に襲われる。

日本人の野球選手が目の前にいる。

本当に、夢みたいだった。

目の前にある何かを手探りよせるように、現実を受け止めようとしていた。


5時30分。

選手が練習をはじめた。

松井稼頭央と坂本勇人が一緒にショートにいる。

本当にすごい光景だった。

守備練習を終え、選手がラインにそって整列する。

聞こえてくるは、国歌。

このときになって、ゲームが始まることを実感した。


6時。

試合が始まった。

日本のマウンドには、広島東洋カープのエース、前田健太(マエケン)。

持つカメラが震えるも、シャッターをきった。
マエケンは試合球に戸惑っているのか、ボール先行。

何度も見てきた、シリーズ男のプエルトリコ選手に嫌な先制点ヒットを打たれた。

3回まで、日本打線は1人もランナーが出せない。

このとき、嫌な雰囲気を感じた。
(話を飛ばす。)

終盤の8回裏、日本の攻撃。

3−0と敗退の可能性が高くなり、球場の雰囲気もそわそわし始めた。

9番松田がたおれる。

1番鳥谷が右中間へスリーベース。

2番井端がライト前にタイムリーで1点を返す。

ここで、涙がこぼれる。

なぜなのかわからない。

涙が出る。
最終回、日本の攻撃。

松井稼頭央がセンターフライを放ち、日本の準決勝敗退が決まった。

周囲の観客が引き返すなか、

1人、球場にむけた視線を離すことが出来ない。

敗退=もう試合がみれない。

この事実を悟ってなのか、最後の瞬間をかみしめようとする。

涙がこぼれる。


帰ろうとしない自分を気にかけてくれたのか、

さきほどの先輩が声をかけてくれた。

と、後ろから、顔見知りの大学生の発言が聞こえた。

「くそなゲームだったっすね。」

その言葉を聞いた瞬間に、理性が吹っ飛んだ。

ぴゅーーーーー。

自分がキレている、という冷静な感覚はもちろんない。

周りもなにも見えてない。

何かが崩れた。

彼の胸を殴ろうとしたおれを、

とめにかかろうとする先輩が手を差し伸べたときに、我に帰った。

こいつにキレても意味がない。

それから、号泣した。

人生ではじめて、号泣した。
なんでキレたのか?

今ならわかる。

やっとたどり着いた土地で、本気で応援したのに、それをすべて馬鹿にされた気がしたから。

同時に、失礼な気がしたから。

プエルトリコ選手を応援していたファンや、実際にプレーしている選手に対して。

現地を訪れていたぶん、WBCに対しても、プエルトリコに対しても、思い入れが強かった。


なんで泣いたのか?

これが、よくわからない。

いろーーーーーーーんな背景があって、起こった。

「2ヶ月半、熱狂的な異国の野球ファンに囲まれていたから。」

「日本を本気で応援する自分がいたから。」

「簡単には、サンフランシスコの地にたてなかったから。」

よくもまあ、涙って出るもんなんですね。
こうして、2013年3月17日が終わった。

3週間にわたった、WBCの旅が幕を閉じた。

人生ではじめて、日本を本気で応援して、号泣して、人にキレた1日。

2度と忘れることはない。

4年後、どうなっているんだろう。

アメリカに来れるのか、野球関係の仕事で来れるのか。

改めて思い返すと、プエルトリコとマイアミとサンフランシスコと、よくみたなー。

帰国してから、1日1日を振り返った日記を書けたらいいなー。

野球もWBCも出会った人も、ほんまに、ありがとうございました。

と、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

帰国後、読みやすいように編集しなおします。

写真の一部を「USA/San Francisco/2013/Japan VS Puerto Rico」にUPしています。

0 件のコメント:

コメントを投稿