この文章を読む前に、下記を読んで頂けたらと思います。
先述のとおり、
「2ヶ月半、熱狂的な異国の野球ファンに囲まれていたこと。」
「人生ではじめて、日本を本気で応援したいと思ったこと。」
「簡単には、サンフランシスコの地にたてなかったこと。」
こんな、事実があって、3月17日を迎えた。
前日、3月16日。
ホテル→マイアミ空港→ロサンゼルス空港→サンフランシスコ空港→ホテル。
慣れない土地を移動したため、疲れている。
ホテルについたのは、夜9時。
付き合いの長い先輩と会い、野球談義を楽しむ。
深夜1時。
静かなる興奮を文章にする。「サンフランシスコ」
深夜5時。
一泊23ドルの部屋に1人。
渦巻く感情を楽しみながら、寝る。
当日、3月17日。
前日会った先輩と、朝に球場を訪れる約束をしていた。
10時ちょうどに合流し、20分かけてむかう。
会場には、既に何人かの日本人。
日本語が聞こえてくる。
というだけで、興奮がおさまらない。
それだけで喜べるものか?
と、自分に驚く。
一緒に応援できる!嬉しさがあった。
球場近くは、まだ静か。
当日チケットを買ったり、記念写真をとったり、雰囲気だけでも、微笑えむことができる。
用があったため、チームストアによる。
球場に併設されているため、正面ゲートから徒歩1分。
ここには、どうしても欲しかったものがある。
JAPANのロゴが入ったユニフォームと帽子。
JAPANのつくグッズを買いたい!と思ったのも、これがはじめて。
JAPANのつくグッズを買いたい!と思ったのも、これがはじめて。
中米の野球旅で、後悔していることがあった。
日本の野球グッズを身に着けてくればよかった。
「お!!??お前、日本から来たのか?」
もっと、現地の人に声をかけてもらえただろう。
何よりも、自国のユニフォームを身にまとい、応援する姿は格好よく見えた。
帰り道をおくってもらったりと、非常に優しくしてくれた、プエルトリコ人。
試合開始は、6時。
会場が開くのは、2時間半前。
ホテルに1回戻り、準備を整える。
マイアミ予選の写真と、予備のSDカードの整理。
ソファーに座り、ヤフーニュースを見ていると、
「世界の野球写真展の方ですか?」と声をかけられた。
twitterで自分の存在をしったらしい。
MLB関連で楽しく喋っていると、出発の時間が近づいてきた。
朝と同じく、球場まで歩いてむかう。
ゆく道で、日本のグッズを身につけた人をポツポツ発見。
笑みが止まらない。
球場の正面ゲートには、すでに多くの日本人。
侍のような格好をした人もいれば、国旗を掲げる人もいる。
目を離すことが出来ない。
球場に入るも、侍ジャパンは、既に練習を終えたところ。
1番早めに来た人でも、選手の姿をほとんど見れなかったらしい。
と、不思議な感覚に襲われる。
日本人の野球選手が目の前にいる。
本当に、夢みたいだった。
目の前にある何かを手探りよせるように、現実を受け止めようとしていた。
5時30分。
選手が練習をはじめた。
松井稼頭央と坂本勇人が一緒にショートにいる。
本当にすごい光景だった。
守備練習を終え、選手がラインにそって整列する。
聞こえてくるは、国歌。
このときになって、ゲームが始まることを実感した。
6時。
試合が始まった。
日本のマウンドには、広島東洋カープのエース、前田健太(マエケン)。
何度も見てきた、シリーズ男のプエルトリコ選手に嫌な先制点ヒットを打たれた。
3回まで、日本打線は1人もランナーが出せない。
このとき、嫌な雰囲気を感じた。
終盤の8回裏、日本の攻撃。
3−0と敗退の可能性が高くなり、球場の雰囲気もそわそわし始めた。
9番松田がたおれる。
1番鳥谷が右中間へスリーベース。
2番井端がライト前にタイムリーで1点を返す。
ここで、涙がこぼれる。
なぜなのかわからない。
最終回、日本の攻撃。
松井稼頭央がセンターフライを放ち、日本の準決勝敗退が決まった。
周囲の観客が引き返すなか、
1人、球場にむけた視線を離すことが出来ない。
敗退=もう試合がみれない。
この事実を悟ってなのか、最後の瞬間をかみしめようとする。
涙がこぼれる。
帰ろうとしない自分を気にかけてくれたのか、
さきほどの先輩が声をかけてくれた。
と、後ろから、顔見知りの大学生の発言が聞こえた。
その言葉を聞いた瞬間に、理性が吹っ飛んだ。
ぴゅーーーーー。
自分がキレている、という冷静な感覚はもちろんない。
周りもなにも見えてない。
何かが崩れた。
彼の胸を殴ろうとしたおれを、
とめにかかろうとする先輩が手を差し伸べたときに、我に帰った。
こいつにキレても意味がない。
それから、号泣した。
人生ではじめて、号泣した。
なんでキレたのか?
今ならわかる。
やっとたどり着いた土地で、本気で応援したのに、それをすべて馬鹿にされた気がしたから。
同時に、失礼な気がしたから。
プエルトリコ選手を応援していたファンや、実際にプレーしている選手に対して。
現地を訪れていたぶん、WBCに対しても、プエルトリコに対しても、思い入れが強かった。
なんで泣いたのか?
これが、よくわからない。
いろーーーーーーーんな背景があって、起こった。
「2ヶ月半、熱狂的な異国の野球ファンに囲まれていたから。」
「日本を本気で応援する自分がいたから。」
「簡単には、サンフランシスコの地にたてなかったから。」
よくもまあ、涙って出るもんなんですね。
こうして、2013年3月17日が終わった。
3週間にわたった、WBCの旅が幕を閉じた。
人生ではじめて、日本を本気で応援して、号泣して、人にキレた1日。
2度と忘れることはない。
4年後、どうなっているんだろう。
アメリカに来れるのか、野球関係の仕事で来れるのか。
改めて思い返すと、プエルトリコとマイアミとサンフランシスコと、よくみたなー。
帰国してから、1日1日を振り返った日記を書けたらいいなー。
人生ではじめて、日本を本気で応援して、号泣して、人にキレた1日。
2度と忘れることはない。
4年後、どうなっているんだろう。
アメリカに来れるのか、野球関係の仕事で来れるのか。
改めて思い返すと、プエルトリコとマイアミとサンフランシスコと、よくみたなー。
帰国してから、1日1日を振り返った日記を書けたらいいなー。
野球もWBCも出会った人も、ほんまに、ありがとうございました。
と、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
帰国後、読みやすいように編集しなおします。
と、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
帰国後、読みやすいように編集しなおします。
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